これからどんな道に進んでいくのか
選択の際には自分のことを知っていることが大切になってきます。
好きなもの、嫌いなもの
できること、できないこと
大事にしたいもの、そうでもないもの
自分の価値観や思い、気持ち、能力…全部ひっくるめた『自分』のこと
そこには自分のルーツも大事だと感じていました。
私の場合、
・大人たちが毎日喧嘩して心休まらない家
・建物も築50年以上で古くて暗いのに人間関係もくらい寒々しいイメージ
でもそんな記憶でも『在る』から、それを受けとめてきた。
継子くんの場合(イメージ)
・待望の長男で初孫…いろんな親族から可愛がられる
・旅行にも行った
・お母さんが病気を発症
・入院生活
・
…
…
その他もろもろ
知りたい内容も知りたく無い内容もあるかもしれません。
小さな頃抱いていた将来の夢を、今は描けなくなってなんだか違っているような事態が訪れてきた時、小さい頃の記憶について訊ねてみました。
ほとんど記憶にないと教えてくれました。
確かに子どもの頃は記憶があったはずなのですが
もしや私が…写真を見えない場所に保管したりしたから…と申し訳ない思いがしました。
そこからです。
わからないことの不安は無くしたほうがいいと思い、これまでの謝罪とともに写真からでもあやふやな記憶に少しでも確信に繋がってほしい思いで写真を取り出しました。
でも…もはや今更みても動揺させただけかもしれない…と
私の気持ちで継子くんの気持ちを掻き乱しているようでそれもまた申し訳ない思いがしました。
しかし気になることは、夫さんの妹さんから聞いているらしく、大丈夫と言ってくれる継子くんには本当にありがたい気持ちになりました。
それから3年くらい経ち、今では『死んだお母さんが生きてたら自分はどうだったか考えたこともあったけれど』と親族から聞いた過去の話と今を持って、今を認めてくれる言葉を発してくれました。
『今、この家族でよかった。多分今の自分じゃないと思うから』
つまり、今の自分を認めていて好きでいてくれているのか!と思ったら、とてもありがたい気持ちになりました。
昔は私の見て居ないところで次男くんにはパンチしたりしていたみたいで
次男くんからは昔話のように、あの時は怖かった〜なんでやろ??と今はとっても優しいお兄ちゃんに不思議がっています。
継子くんは、ちびっこたちの優しさを今はしっかり受け取ってくれているようです。
『本当にこの家族は優しいと思う』
ずっと昔から特にちびっこたちはみんな変わらずお兄ちゃんを慕っていたのですが
家を離れて、人間関係に揉まれて、いろんな経験を経て継子くん自身の見えかた感じ方が変わってきたようです。
それにはこのライフストーリーを知る機会が関わっていたのかもしれないと今は思われます。
自分で気持ちを整理するのに『情報』があるとそれに対して自分の中で
受け取る受け取らない
良しとする諦めるなど…判断ができます。
でもなんの『情報』もないと判断しきれず、モヤッと感や不安感が残るのではないでしょうか。結果、心の整理が仕切れず、それが他の面でも決められない、判断できない材料となって自信のなさややる気の起きない状態になってしまうように感じます。
そう考えると、
自分の両親の存在や、どんな関わりをしてくれていたか、どこですごしていたか…
人として生きる上で、生い立ちを知っていることは確信となり自信に繋がるとても大切なことといえます。
なんでお母さんは死んでしまったのだろう?
なんで生まれてきたのだろう?と思っていたことはきっと幾度もあるのではないかと思えます。それが事実としてあったとしても、今は違う受け取りにかわっているという事実があることは、人はいつでもその時々で変化していっていることを思わせられました。
セミナーでもおっしゃっていた
『向き合うことで変化していく』
『捉え方は少しずつ変わる』
受けとめた上で
手放したり取り入れたりしながら『自分』を作っていく。
これらはまさにAPで培ってきたことでもありました。
点滴のようにポツリポツリと伝えていく
確かに生まれた事実
いろんな人たちの手を借りて今も自分が存在していること
当時の状況
いろんな人の思い
自分だけで生きてきたのではない確かにあった安心感
里子さんにはもちろん、どんなお子さんにもとても大切なサポートと実感。そして大人にも。